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エレファントピア

エレファントピア

瞑想の思ひ出

物を探してクローゼットを探っていたら、昔の日記が出て来た。パラパラとめくってみると、4年前の11月、ミャンマーはヤンゴンの僧院で瞑想修行(?)をした時のことが書いてあった。

瞑想の経験は、私にとってはとても大きな出来事で、その内、ちゃんと文に残しておこうと思っていたのだが、当時の日記にはそのときのごちゃごちゃしたことが書いてあって、このまま廃棄するには惜しいので、ここにこっそりUpしておくことにする。

当時私はヤンゴンで働いていて、仕事疲れもあって、休暇を僧院での瞑想修行にあてることにしたのだった。
ちなみにミャンマーは上座仏教。


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第一日目

ミャンマーにて2度目の休日は、ヤンゴンで、カバエパヤーロードの行き止まりにあるマハシ・メディテーション・センター(1)で5日間、瞑想を習う事にした。
発端は実は仏人友人のOで、彼がインドでの休暇から帰ってきて電話をくれた時、毎日疲れて大変だという話をしたら、ここを教えてくれたのだった。

その頃から今にかけて、仕事+仕事で…

(ひとしきり状況説明&愚痴)

…そんな感じで無茶苦茶で、私は精神的にすごく疲れていた。それに、

(また愚痴)

という訳で、救いを求めて門を叩いたのだった。(大袈裟な…)



今(夜)、センターの宿舎の一室でこれを書いている。(2)
部屋は古いが小ぢんまりしていて、掃除も行き届いていて日当たりがよい。夏は暑そうだが…
私のいる宿舎2階には私のほかに2人の修行尼がいる。(3)一人はラオス人の尼僧、もう一人は日本人の尼僧である。日本人の女性は若く、最初は在家として修行していたのが、出家したらしい。

今日は、朝八時に着いて登録を済ませ、宿舎に荷物を置いてから、セヤドー(僧頭)にあいさつをし、瞑想のやり方を教わる。その間、こちらで出家し学問僧をしている日本人のNさんが、通訳をしてくれた。瞑想のやり方は日本語のテープがあって、それを聞く。

ゼヤドーの部屋(バンガローみたいに独立していた)の前には、ピンクの僧衣を来たメティラシン(尼僧)の女性たちが待っていた。
今日は尼僧の質問日(4)なのだろうか?

10時からお昼ご飯を食べた。大広間にたくさんの丸いちゃぶ台が並んでいる。僧、在家男性、尼僧、在家女性に分かれて座り、(もう席は決まっているらしい)普通とベジタリアン用のテーブルがある。
食べる前は広間上座の仏陀に跪いて三拝し、食べ終わってからも三拝して帰る。おかずもゴハンもおかゆもデザートもなんでもある。皆かなりの勢いでもくもくと食べる。特にタイの尼僧の食べっぷりがすごくて、なんだかつられて一杯食べたような…
そしてこれが…おいしい!ナッツと干しぶどう入りのアイスクリームまで出てきて、びっくりした。やっぱり一日2食だけだから、ここで滋養をつけるのか…。(5)


僧院では話すこと自体が勧められていないから、余計な事を話す必要がなくていい。いつも、会話や話題や情報を求められて、私は疲れた。


一日目が終っての感想は、
身体がイタイ…
あきるかも…
ということ。

外国人女性用の一室で歩行禅と、座禅を一時間おきごとにする。
朝4時から夜9時までのなかなかタイトなスケジュールだ。
(実は瞑想しながら寝れるかな~と考えていた不届者なのだが、そんな場合じゃなかった…)


私は歩行禅の方が好き。(6)

歩きながら、歩いている行為を思う以外は何も考えてはいけない。でもその思っている自分を意識している自分に気付いた。
昔々、子供の頃、こういうことを考えながら歩いたり、しゃべったりしていたことを思い出した。特に眠りにおちる瞬間を捕らえたくて、毎晩がんばっていた。
こうしてここへたどり着いたのも、偶然ではないのかもしれない。たった5日間だが集中しよう。

隣の日本人尼僧は半年修行し、明日ここを去って帰国するらしい。別隣のラオス尼僧の瞑想はきれいだ。すごく姿勢がうつくしい。ちょっと尊敬。
同じ在家ではスリランカ人のおばさんたちがたくさんいて、色々教えてくれる。彼女たちはお金のかかる方の宿舎に泊まっている。
それから韓国からの留学尼僧が4人いた。彼女たちはお国の僧衣を着ている。


今日は説法があった。
Nさんが翻訳ノートをもっていて、翻訳してくれた。
ネパールからの在家の学生さんが、「僧侶が肉を食べてもよい訳」を質問していた。「この質問はいつも出る」と後でNさん。

一人在家にヨーロッパ人がいた。ドイツ人みたいだった。

(つづく)

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(1)ヤンゴンでも1,2の規模の瞑想センター。外国人の瞑想修者を受け入れている。敷地内には仏教学校があり、多くの学問僧がいた。

(2)瞑想修行者用の宿舎は、4つ。ミャンマー人用(男/女)と外国人用(男/女)があった。当時、外国人女性宿舎には古くて無料の宿舎と新しくてちょっとだけお金のかかる宿舎があったが、私はもちろん古くてタダの方に泊まっていた。

(3)私は出家はしなかった。替わりに「得度の在家女性」として、髪を束ね、茶色のロンジーと茶色の胸あて用のスカーフ(?)をし、白いブラウスを身に付けていた。

(4)修行中、一週間に一回、瞑想の進み具合や質問にセヤドーが受け答えしてくれるインタビュー日がある。

(5)上座仏教の戒律により、僧侶と修行者は昼12時以降は食べ物を口にしてはいけない。飲み物と飴とタニャと呼ばれるやし砂糖はOK.

(6)マハシで教えているヴィパッサナ―瞑想には、歩行禅と座禅がある。

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瞑想修行に行ったはずなのに、誰がどうしたとか書いてます(^^;)。
未熟者やなあ。
ゴハンがおいしかったとか言ってるし…。でもあのアイスは本当に美味しかった!

(2004年5月22日)


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第二日目

朝3時起き。思ったより辛くなかった。なぜなら実は皆午後9時には寝てしまうから。さらに午前4時から5時の瞑想(座禅)では皆ほとんど座って寝ているから…。(1)
そんな中でもラオスの尼僧だけは船を漕いだりしていなかった。たいしたものだ~。

午前5時から6時まで朝食。皆が食堂に行く途中で立ち止まって手を合わせて三拝している場所があって、なんだろう?と思って見ると、その方向にシェダゴンパゴダの黄金のシルエットが小さく見えた。まだ真っ暗な朝空に金のパゴダの頂点が映える。とても美しい。(2)


午前6時から9時まで、1時間ごとに座禅―歩行禅―座禅。
歩行禅の時間になったらスリランカ人のおばちゃんがしきりに目配せするので、着いていってみる。(瞑想中は話してはいけないことになっている。一応。)

階段を上がるのにも、ちゃんと瞑想の作法を守ってゆっくり進む。着いたところは屋上。午前中の屋上はまだ涼しくて、他に誰もいなくて気持ちいい。本当は決められた部屋でやるべきなんだろうけれど。(だから誰もいなかったのか?)
2人のおばさんたちと3人で屋上スペースを使って歩きこむ。端っこにお坊さんの朱の法衣が干してあって危ない。女性にはお坊さんのパワーを減退させるパワーがあるので、法衣に触ってはいけないのだ。


お昼。
日本人2人が今日帰るというので、帰国お食事会に招かれて、外に食べに行く。帰るのは、去年は奥さまもマハシに来たというSさんと、隣の部屋の尼僧。それからマハシの僧のNさん、日本から修行に来て足掛け2年瞑想をしているという僧侶のTさん、普段はシングーの寺院にいるCさん(江戸弁)、インドから流れてきたMさん、そして私で、日本人は7名。
それからお食事をコーディネートしてくれたミャンマー人のボランティアの人たちが5人くらい。日本語がぺらぺらな人が2人いて、うち1人の奥さんは日本人女性だった。旦那さんが日本で仕事をしていた時に出合って結婚。もう5年ミャンマーに住んでいるらしい。

お店はランマドーの海鮮飯店。中華。う~ん、ここもおいしい!
それもこれも全部ミャンマー人ボランティアの人たちにお世話になる。(払ってもらった)ここは本当にボランティアの力で支えられているんだなあ。あと、お布施と。



瞑想はどうした??(--*
     ↓
    はい。


午後4時半、週に2回のセヤドー(僧都)への質問(インタビュー)がある。仕事でどうしても外に行かなくてはいけなくて慌てたが、またまた例のスリランカのおばさんたちに順番を譲ってもらった。

瞑想では、今自分の体の行っていることを「認識」しなさいと教わったが、行動を「(言葉)で思う」ことと、ただ「感じる」ことのどちらが「認識」になるのか、と訊く。
が、なんかよく通じなかったようだ…。とにかく初心者は、例えば歩くときは「右足、左足、右足、左足…」と「思って」歩けばいいらしい。あと、ゴハンの時にはいっぺんにいろんなオカズを食べないように。一つ一つの感覚をしっかりつかんで認識しながら食べなさい。と言われる。でも皆、ゴハンの時にはかなりかっこんでいるように見えるんですけど…。


午後5時から6時。仕事のためにちょっとだけ抜ける。
(本当は瞑想修行中にこんな風に抜けるなんてしてはいけない。)


6時すぎに帰ってきてまた瞑想。
夕方になると蚊が多い。外国人用のフロアだけかと思うが、天井から個人座禅用蚊帳がぶら下がっていて、その下に座禅用座布団を敷いて座る。足が痛くなったら体を動かしてもいい。そこが日本の座禅ととても違うところか。例えば足を「動かします、動きます、動きます」とちゃんと認識できていれば動いてもいいらしい。


8時半になると鐘が鳴る。
皆、「認識」はどうした!?と思うほどすばやく動き、部屋へ帰る。予定表ではこのあと、顔を洗ったり歯を磨いたりする時間の後に、11時まで各部屋で瞑想、となっていたけれど、9時にはもう他の部屋からイビキが聞こえてきたので、寝てもいいのだな。と思って寝る。

(つづく)

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(1)瞑想センターの一日 (うろ覚え)
3:00AM     起床
4:00-5:00AM   瞑想(座禅)
5:00-6:00AM   朝食+休憩
6:00-9:00AM   瞑想(座禅―歩行禅―座禅)
9:00-10:30AM  入浴+休憩
10:30-12:00AM 昼食+休憩
12:00-16:00PM  瞑想
16:00-17:00PM  休憩
17:00-20:30PM  瞑想
20:30-21:00PM  入浴(?)
21:00-23:00PM  瞑想(各部屋で)

(2)シェダゴンパゴダ:ヤンゴン最大(ミャンマー最大?)の黄金のパゴダ。

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2日目にして、ますます瞑想なんだかただ楽しくお泊りに行っただけなのか、分からない状態です。5日間しかないのに、外で楽しくお食事してしまっています~。ああ~。でも美味しかった~。(特にかに味噌…)

(2004年5月27日)


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第三日目


明け方、起床してから瞑想ルームで瞑想を始めるまでの時間、皆自由な場所を“歩く瞑想”する。まだ薄暗いセンターの敷地内を僧や在家がさわさわと歩き回る。

私はこの時間と、朝食の後の時間が好きだった。歩いて瞑想しているふり(?)をして、センター内をくまなく探検。学僧たちの寮の前に行くと、若い僧たちが、仏教談義に熱を入れながらガシガシと歩いていた。(行ったり来たりしていた)う~~む、これも瞑想なのか??

朝食後は午前のお勤め。今日もスリランカ人のおばちゃんたちと目配せを交し合い、屋上へ。太陽が昇り、じりじりと暑くなるまで歩く。

午前中の座る瞑想(座禅)は、ほんとんど、かたっぱしから寝ていた。いや~~。眠かった~(っていうか寝た)。3日目の今日は眠さ倍増。たぶんきっと座った途端にほとんど寝ていた。
何をしに来たのか…謎。


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昼食へ行くにも作法がある。

まず、時間になると僧、尼僧、在家がぞろぞろと建物の外に出て、並ぶ。
それから食堂のオープンスペース(でっかい屋根と打ちっぱなしのコンクリの床に茣蓙)の前にある小さな鐘(に見立てた金属片)を、小僧さんがカンカンカン!と思いっきり叩く。それにもリズムがある。多分意味があるのだろう。

鐘の音にあわせて、列がゆっくり食堂に向かって動き出す。

まずは僧都(セヤドー)を始めとした身分(?)の高いお坊さんたち、そして僧侶、学僧たち、若い修行僧達が続く。そして、在家の男性、尼僧と続く。く~、女性は剃髪しても在家の男性より身分(?)が低いのね!さすが仏教。最後は私たち在家の女性。

ずらずらと並んで進む僧たちのスタイルを見ていると、ああ、ミャンマーで瞑想してるんだなあ。と思う。朱色の袈裟を着て、ポンジー(僧)サンダルを履いている。中にははだしの人も。それから黄色やオレンジの肩垳で支えた、銀のご飯ボールを抱えている。托鉢の時にはこのボールにご飯を入れてもらう。昼食はここで採っているようだったが、朝ご飯には長い列を作って、外に托鉢に行っていた。
(写真がないのが残念。スキャナー欲しい…)

尼僧のスタイルも、こんなことを言ってはなんだが、かわいい。ピンクの袈裟に下布は白。どこかにオレンジか山吹色も入っていた。お坊さんも尼さんも、外からは見えないが、中にはいろいろな秘密アイテムを身につけている。お腹に巻きつける携帯品入れだとか、肩垳だとか…。
暑いので、朱色か焦茶の傘を差しているお坊さん、尼さんもいる。山吹色の手ぬぐいを頭の上に載せている尼さんもいた。


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午後のお勤めが終わり、4時から5時の(だっけ?)休憩時間。知り合いになった日本人のお坊さん、Tさんのところに行く。

Tさんはもともと禅宗のお坊さんだったらしいのだが、「このままでは日本の仏教はダメになる!」と一念発起して上座のミャンマーへ仏教の教えを学びに来たらしい。ひたすら歩いて座って歩いて座って…もう2年になるという。学僧になりませんか?とか、日本に帰ってきたら住職のポスト紹介するよ?とか言われているらしいが、やはりここで歩いて座って…(以下同文)。

そんなTさんに、(上座)仏教のいろはを教えていただき、マハシで教えているヴィッパサナー瞑想の小冊子をいただく。


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夜の瞑想。
歩く瞑想では、思考が感覚をリードしているような時がある。私にはどうも、「感覚をそのままに思考する」ことが難しい。

この夜、初めて「まとも」に瞑想できるようになった。ほんの5分か10分だと思うが。
だが、集中して呼吸を整えるとどうも体が揺れてしまう。心拍音とシンクロして振れる感じ。前後に体が振れて来て、どんどん激しくなるから焦った。結局力を入れて停めたが、こういう場合はどうすればいいのだろう?
どっかのカルトだったら、精霊がついたとか悪霊がついたとか言われてそう…。

(つづく)

(2004年6月18日)


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第四日目


午前中の歩行瞑想。今日も相変わらず、屋上へ。

やっぱりずーっと部屋の中で歩いていると疲れる。
それほど広くない部屋に、スリランカのおばさんたちが6人くらいと、韓国尼僧が3人、タイ尼僧、ラオス尼僧、わたしの10数人が歩くわけだから、一人一~二列の割り当てになる。

せ、狭いです…。


そんな理由もあって、涼しい午前中の内は数人(スリランカのおばちゃんと私)が屋上へ避難。
こうして外の環境に左右されているあたりからして、修行がなってません。


今日は屋上に先客がいた。在家の男性2人だった。
(当たり前だが)瞑想中は他の人としゃべったり邪魔してはいけない。無視して歩いていたが、結局話し掛けられてしまった。

彼はネパールから来た仏教学の学生。最初の日に僧都(セヤドー)に「僧が肉を食べてもいいのはなぜか?」という質問をしていた人だった。名前はバシュ。

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因みに彼の質問「上座仏教では僧が肉を食べていいのはなぜか?」
の答えは、
「上座では托鉢をして食事を得るため、これは食べれるこれは食べられないなどとゼイタクは言っていられない」からだそう。
同じく、僧が午前中しか食事をしてはいけないのも、「一日中托鉢をしていたら、在家の人たちの食べ物がなくなってしまう」から。

肉については、例えば僧がどこかのお呼ばれにあって、招待した家の人が僧に出すカレーのために鶏を絞めているところを目撃してしまったり、断末魔の叫び(?)を聞いてしまったりしたら、食べてはいけない。
でもな~んにも知らないで、ただ出されたカレーだったら食べてもいいらしい。(なんなの…)

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瞑想修行も4日目ともなると、午後にもお腹が空いてくる。
上座では僧と修行中の在家は午後には食事を採ってはいけないので。
ただし飲み物とキャンディー類はOK。シリアルや粉スープなどを常備している人も多かった。私は最初の日に帰国した日本人の女性と、タイ尼僧からもらったシリアルとコーヒーミックスでなんとか命をつなぐ…。

午後になると瞑想室の外の廊下に、中国茶とタニャと呼ばれるヤシ砂糖の壺が置かれる。どうしてもお腹が空いた時は、タニャを口に含んでお茶を飲めばいい。タニャは私の大好物。黒砂糖のようにコクがあってまろやか。口の中にさらさら溶けていく。

いつも廊下で歩行禅をする韓国尼僧も、タニャが目当てだったのかも?(それは自分…)


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さて、今日は2度目のセヤドーとの面接があった。
面接では自分の瞑想の経過や疑問点などを僧都に直接聞いてみることができる。

早速、昨夜の座禅で起こった「体が前後に激しく振れてしまう」現象について聞いてみた。カルトだったらなんか憑いたと言われるところだ。
そうしたら「歩行禅が足りないんじゃない?」

…だけ。    だけ?

瞑想では歩行と座禅のバランスが大切で、どちらかが足りないとこういうことになるらしい。体が振れてしまうのは、すごく一般的な現象らしい。
な~~んだ。なんかスゴイこと起こってるんじゃないかと思って、ちょっと期待してしちゃった。

あと、瞑想センターにいる時はいいけれど、外界に戻ってから、どうやってこの「安定した」状態を保っていられるのか?と聞いてみた。

そしたら笑われた。

笑う事ないじゃないか~!こっちは真剣なのよ!
でも考えてみたら、そんなことが出来てたらそれはもう悟りの境地(?)。そう簡単には到達できるはずはなかったのでした…


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一日のお勤めが終って寮に帰る。

立ち上がる時も、動く時も、歩く時も、
すべての行動を頭で実況中継しながら、ゆっくりゆっくり動く。


全ての行動を瞑想する。

暗い道のりを歩いて、寮に着き、
部屋に入って、ろうそくを灯す。

蚊帳を用意して、着替えをして、洗面所に行く。

樽から水を汲んで、歯ブラシをぬらして、歯を磨く。

みがくみがくみがくみがく
上上上上上
下下下下…

そうやって歯を磨いていた時、
すごく幸せを感じていたことを覚えている。
歯を磨いているだけなのになぜがすごく満ちた感じだった。


雰囲気に酔っていたのだろうか?(なんの?)


今でもあの薄暗い中での歯磨きの幸福感は忘れられない。

幸せじゃない、満たされない、と不満に思う時、
「でも私は歯を磨くだけで幸せになれた女…」
と思い出す。(だからと言って問題は解決しないが。)



(つづく)

(2004年6月19日)


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第五日目


とうとう最終日になった。明日、早朝仕事に帰る。

午前中、また例のネパール人に話し掛けられる。
ミャンマーに仏教を学びに来るネパール人…いろんな人がいるんだなあ。

朝の座禅では、居眠りしすぎて首がイタイ(アホ)。やっぱり夜の方が集中できるようだ。居眠りをしないためには、寝足りるまで寝るしかない。

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昼食後、またネパールのバシュに捕まって、コンパウンド内で写真を撮ることになる。(またまた何をしに来たのか怪しくなる…)
バシュも明日帰るらしく、その前に撮影がしたかったらしい。彼の友人の韓国人の在家男性もくる。

この韓国の男性は、このセンターに来る前には、他の瞑想センターにいたらしい。そしてここを去った後はまた別のセンターに行くらしい。どうも瞑想センター巡りをしている模様。なぜそんなことをしているのか…。修行という感じでもないが。瞑想センターってまあ無料みたいなものだから、旅行の代わり?でも外に出れないんじゃ観光にはならないしねえ。いろんな人がいるものだ…

3人で楽しく写真撮影をし、ずっと気になっていた建物の中に入ってみる。マハシの開祖(?)のセヤドーの蝋人形のような像が置いてあって、怖かった。

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午後は午後で、眠くて眠くて大変だった。
これは…夜の睡眠時間を入れると、一日10時間以上眠っているのではなかろうか?


午後の休み時間に、日本人で知り合いになった人たちに挨拶に行く。

こういう小さなところでずっと修行をしていると、やっぱりどうしてもストレスも溜まってくる。それをどうにかする(やりすごす)のも修行の一環なのだろうが。

例えば同じ部屋の修行者がいつも扇風機を最大にしてしまうことが、この世の最大重要事項になってしまって悩んでいる人がいた。

何ヶ月もいる人も、何年いる人も、それぞれに大変そうだ。周期的なものかもしれないが。



私が最後の日になったというので、スリランカのおばちゃんたちがオレンジやらリンゴやらをくれる。タイの尼僧からはドラ焼をもらった。(一体どこから?)
(その代わりに石鹸とコーヒーミックスを買ってこいとか、娘に得メールを出して欲しいとか、いろいろ頼まれる。ちょうどいいお買い物係といったところか)


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夜になるとようやく普通に座れるようになる。
集中しているのが分かる。あまり意識するとそちらに引きずられてしまうのだが。体もあまり振れなくなった。


8時半に一日のお勤めが終る。


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朝6時半。
最後の朝食までしっかりいただいてから、帰る。

荷物を抱え、受付に行って帰宅の意を伝える。受付にいたのは、私が先週、むりやり5日間の瞑想修行をねじ込んだおじさんだった。(本来は7日間以上)

いつでもまた来なさい。時間があったら自宅でも瞑想しなさい。
と言われて別れる。


大通りまで出る。事務所まで歩いて歩けない距離ではないので、歩こうかと思ったら、タクシーを捕まえられた。さすがミャンマー人。朝が早い。

タクシーだと事務所兼スタッフハウスまで5分とかからない。
ほんとうに近所なのだ。

それでもセンターの中は異界だった。

門番さんが門を開けてくれて、私を見つけると驚いたように笑った。

まだだれもいない事務所に入り、2階の自室に戻る。

ドアを開けて、3人は眠れそうなキングサイズのベッドに腰をかける。あと2時間もしたら、スタッフが出勤してくる。



ただいま、日常。

こうしてミャンマー2度目の休暇は終った。





(おわり)


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体が疲れていたら、休息をとるように、
心も疲れていたら、ゆっくりと休ませる必要があると、セヤドーは言っていました。


瞑想は心を休ませる(毒を出す?)にはいい経験でした。体のほうが率先して休んでいたような気もしますが。



(2004年6月20日)


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